東京高等裁判所 昭和26年(う)4126号 判決
公訴提起前における被疑者の弁護人選任については特段の形式を要しないけれども第一審においてもその効力を有する為には被疑者と弁護人と連署した書面を当該被疑事件を取り扱う検察官又は司法警察員に差し出してこれを為さなければならないこと及び公訴提起後においては弁護人の選任は常に必らず被告人と弁護人と連署した書面を当該裁判所に差し出してこれをなさなければならないことは刑事訴訟規則第十七条第十八条の規定に徴し明白であり、右法条における連署とは各その氏名を自署するの謂であることはいうまでもないところである。然らば原審が氏名の黙否を正当と認めるに足る特段の事情の認められない本件において論旨の指摘する氏名を自署していない被疑者としての弁護人選任届或いは被告人としての弁護届を以て、刑事訴訟規則第十七条第十八条所定の方式を遵守しない不適式の訴訟行為として決定を以てこれを却下し爾後の訴訟関係を明確にするの処置に出でたことは洵に適切の措置といわなければならない。憲法第三十八条第一項には何人も自己に不利益な供述を強要されないことを明記されており刑事訴訟法第三百十一条第一項は被告人は終始沈黙し又は個々の質問に対し供述を拒むことができることを規定しているけれども、その氏名を告げることによつて起訴された犯罪が当然に被告人の犯行であることが判明するような特殊の場合を除いては、被告人の氏名を明らかにすることは原則として被告人にとつて不利益な供述になるとは到底考えられないところであり、又公正の精神に反するとも考えられない。このことは刑事訴訟規則第百九十六条が裁判長は検察官の起訴状の朗読に先だち被告人に対しその人違でないことを確めるに足りる事項を問わなければならないと定め刑事訴訟法第二百九十一条が裁判長は起訴状の朗読が終つた後において被告人に対し所謂黙否権の告知をなさなければならないと定めているところからもうかゞわれるところであるから論旨の指摘する被疑者又は被告人の氏名の自署のない本件弁護届を却下したからとて何等憲法第三十八条第一項の原則に反するところはないといわなければならない。従つて原裁判所がこれを却下した後必要的弁護事件である本件について原審裁判長が刑事訴訟法第二百八十九条に則り職権により弁護人を附したことは固より当然であり原審が被告人熊谷同斎藤同中島等に対し夫々国選弁護人に支給した費用を負担させたのは刑事訴訟法第百八十一条第三十八条刑事訴訟費用法第一条に則つたものであつて何等違法の点は存しない。